オルフェーヴルの宝塚記念出走は1回のみだった

思わぬところに的中がある宝塚記念予想

オルフェーヴルが宝塚記念に出走したのは、2012年の1度だけです。
当日は1番人気に推され、2着馬に2馬身差をつける完勝でした。
しかし、1番人気に推された当日の単勝オッズは、3.2倍とオルフェーヴルにしては高いオッズでした。
前走の天皇賞(春)が1.3倍、圧倒的な強さを見せた日本ダービーですら3.0倍でしたから、異常とも言える高いオッズだったのです。
宝塚記念でオルフェーヴルの単勝オッズが通常よりも高かったのは、前走の天皇賞(春)で11着に惨敗してたからです。
1.3倍と断然人気に推されたのに、全く見せ場なく敗れたわけですから、当時は宝塚記念では苦戦すると予想したファンが多くいました。
また、宝塚記念のレース前は調教師が弱気だったのも、オッズが高くなっていた理由の一つでしょう。
しかし、天皇賞(春)で負けた理由には、今考えるといくつも挙げることができます。
そもそもの始まりは、宝塚記念の2走前に走った阪神大賞典です。
阪神大賞典のレース中に逸走してしまい、オルフェーヴルには平地調教再審査が課されました。
平地調教再審査が課されてしまうと、トレセンで再審査に合格しない限り、レースに出走することができません。
そこで陣営は再審査に合格するために、普段は調教で使わないダートコースで調整をしました。
また、万が一の時代に備えて馬具を装着して、万全の体制を整えたわけです。
陣営が万全の体制を整えた結果、平地調教再審査には合格します。
しかし、普段とは違う調整過程や着け慣れない馬具、さらには京都特有の高速馬場などが影響したのか、レースでは見せ場なく敗れました。
今考えると敗因はいくつも挙げられますが、当時は競走馬としては終わったという極端な意見も出始めたほどです。
こうした事情に加えて調教師もレース前に弱気になっていたことから、オルフェーヴルは宝塚記念でいつもほどの支持を集めることはできませんでした。
しかし、宝塚記念のゲートが開くといつも通りアッサリと他馬を追い抜き、楽勝とも言える内容で勝利したのです。
思えばオルフェーヴルの全兄ドリームジャーも、2009年に行なわれた宝塚記念の勝ち馬でした。
また、父ステイゴールドは宝塚記念に強い馬としても有名で、2012年のレース前の時点ですでに2頭の勝ち馬を輩出しています。
前走の明確な敗因を理解し、血統的なことから考えると、宝塚記念で鮮やかな復活の勝利を飾ることは、十分に予想できたことでしょう。

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